「課外授業 ようこそ先輩」 と映画 「バベットの晩餐会」
2010-03-29


今朝の NHK の番組 「課外授業 ようこそ先輩」 に, 元南極観測隊隊員で料理担当として 2 度にわたり南極観測隊に参加した西村淳さんが出演した.

1997 年第 38 次隊では, 南極で最も過酷な環境と言われる平均気温, 零下 57 度のドームふじ基地で, 約 1 年を過ごしたが, 料理担当として, 限られた食材で、ほぼ毎日違う料理を振舞い, 研究に励む隊員たちを支えた.

基地での唯一の決まりごとは, 毎晩必ず全員で夕食を摂る事だったと言う. この全員で囲む食卓が、隊員たちのコミュニケーションを図る大切な場になったからだと言う.

当時の越冬隊の様子が昨年映画化もされている.

その西村さんが, 母校の北海道名寄市立名寄小学校で子どもたちに 「食」 を通じて人と繋がる喜びを実感して貰おうと、氷点下の校庭の中で、隣のクラスの為に昼食の料理を作り、雪の中で大食事会を行なうと言う内容のものだった。

初めての経験に子どもたちは戸惑いながらも, 西村さんが信じた通り, 皆で美味しい食事を摂る事は、よい人間関係を築くのに大きな役割を果たすと言う貴重な体験を通じて, 夫々が一つ大人になった様子が番組を通して感じられた.

これを観ていて思い出した映画があった. 1987 年に公開された 「バベットの晩餐会」 である.

19 世紀後半, デンマークの辺境の小さな漁村に, 厳格なプロテスタント牧師の美しい姉妹が住んでいた.

二人にはそれぞれ愛する人がいたのだが, 結局, 父の仕事を生涯手伝って行こうと決意するのである.

やがて歳月が流れ, 父が亡くなった後も二人は未婚のまま父の仕事を献身的に引継いでいた.

そこへ昔の恋人の紹介状を持ったバベットと言う女性が, パリ・コミューンで家族を失い亡命して来て, 無給でも良いから家政婦として働かせて呉れと申し出る.

更に 14 年の歳月が流れ, 父の弟子たちも年老いて, 集会が, 昔からの不幸や嫉妬心による諍いの場になってしまっている事に心を痛めていた姉妹は, 父の生誕 100 周年の晩餐会を開き, 皆の心を一つに纏めたいと思い付く.

そんな時に, バベットがパリの友人に買って貰っていた宝籤が偶々 1 万
フランも当り, バベットは晩餐会にフランス料理を作らせて欲しいと申し出る. 姉妹はバベットの申し出を受け入れるが, 数日後に彼女が運んで来た料理の材料の贅沢さに, 質素な生活を旨として来た姉妹は 「天罰」 でも下るのではないかと恐怖心を抱いてしまう.

然し, 映画では, 見ている自分までが, 思わずゴクリと唾を飲みたくなる程の豪華極まりない料理が振舞われ, 晩餐会にやって来た村人たちは, バベットの料理に次第に心を解きほぐされて行くのである. その様子が実に巧みに描写されていた.

バベットは, 実はコミューン以前 「カフェ・アングレ」 の女性シェフだった事が明かされるのである.

晩餐会が終ったらバベットがパリへ戻ってしまうものと思っていた姉妹は, 彼女がこの晩餐に, 宝籤で当った 1 万フランを使い切ってしまった事に驚きもするが, 今後もこの地に留まりたいと言うバベットの真意に思い至り, 胸を詰らせるのである.

さて, 「(家族) 全員で食卓を囲み, 摂る食事は美味しく, よい人間関係を築くベースにもなる」と言う西村さんの信念には異論の余地がない。

最近は 「個食」 などと言う言葉が流行る位に, 食事を家族全員で摂るなどと言う事が少なくなってしまっている様である.

これが総てと言う心算はないが, 家庭崩壊, 学校崩壊, 社会崩壊の遠因の一つになっていると思うのである.

「医食同源」 と言う言葉は何度も本欄で紹介して来たが, 食事は, 健康に大切なばかりではなく, 人間関係の潤滑油としても無視できない重要な要素であると言わざるを得ない.
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はり・きゅう・マッサージ トミイ
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