貝原 益軒の 『養生訓』 を読む (1)
2009-09-13


本書は, 江戸時代の儒学者貝原益軒が死の二年前の 83 歳の時に著し, 翌年 (正徳 3 年, 1713 年) に上梓され, 流布したものであるから, 今から略 300 年ほど前の書物である.

従って, 当時の世の中の医療水準や健康に対する庶民の意識がどの様なものであったかを推し量るには恰好の資料の一つであると言える.

先ず, 読んで感慨を覚えるのは, 益軒が、世人後世のためを思って著した或る意味啓蒙の書とも思える点である. 次に、益軒の堅実で質実とも言える健康観で, 現代の我々にも参考になる事項が少なくない事である. 益軒は, 人の一生においては, 道を行い善を楽しむ事, 病に侵される事なく日々の生活を送れる事の楽しみ, そして長寿の楽しみ, 以上の三点を如何なる金銀財宝や権勢名誉にも勝るものであるとしている.

また, 私の様な鍼灸師の立場から読んでも肯ぜざるを得ない訓もある. 例えば, 巻第六 (34) には以下の様に述べてある.

医とならば, 君子医となるべし. 小人医となるべからず. 君子医は人のためにす. 人を救ふに, 志専一なる也. 小人医は我がためにす. わが身の利養のみ志し, 人を救ふに志専らならず. 医は仁術也. 人を救ふを以て志とすべし. 是人のためにする君子医也. 人を救ふ志なくして, 只, 身の利養を以て志とするは, 是我がためにする小人医也. 医は病者救はんための術なれば, 病家の貴賎貧富の隔てなく, 心を尽して病を治すべし. 病家より招かば, 貴賎を分かたず, 早く行くべし. 遅々すべからず. 人の命は至りて重し, 病人を疎かにすべからず. 是医となれる職分を努むる也. 小人医は, 医術流行ればわが身に誇り高ぶりて, 貴賎なる病家を侮る. 是医の本意を失へり.

以上の如く, 「医は仁術でなければならぬ」 と説いている. 昔から医を仁術とせぬ医者が存在したのは, 何時の世も変らないものと見える. 然し, 赤字経営で閉鎖される大病院も少なくない昨今, 「医は仁術」 とばかりも言っていられない状況もあるが, 医者としての基本的心構えは昔も今も不変でなければならない筈である.

折に触れ, 「養生訓」から私の琴線に触れ, 皆さんにも興味があろうと思われる箇所を, 今後も紹介して行く予定である.
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はり・きゅう・マッサージ トミイ
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